大道塾(だいどうじゅく)、空道(くうどう)、北斗旗(ほくとき)について

大道塾とは

大道塾は柔道界(参段)から「極真空手」の世界に転進し「第9回全日本」にて優勝した、東孝塾長により1981年宮城県仙台市に創立され、現在は東京都豊島区に総本部をおき『21世紀の武道 空道』を世界に発信している、日本有数の規模(現在国内100ヶ所以上、海外約60ヶ国)をもつ、日本における総合武道のパイオニアとなった団体です。「NPO国際空道連盟」および「(社)全日本空道連盟」の傘下団体として、実戦性と安全性を重視した武道スポーツ「空道」の普及に勤めています。

「大道塾」は強くなるための稽古・努力が『武道家としてだけでなく人間として完成する』ために役立つという信念から人間形成・教育の場としての道場であるという意味を込め『塾』という言葉を使っています。また「大道塾」の『大道』は「大道無門」大道に至るに門なし。即ち、人の世の全てが修行の糧、至高に辿り着く道程となりうるという言葉から借りており、先入観や、固定観念を避け、全てを抱含し、しかし一つには偏らない自由、開放を塾是としています。

「大道塾」という名称の由来:
中国、南宋の慧開和尚の書「無門関」の序文
「大道無門千差路有 透得此関乾坤独歩=大道無門、千差の路有り。この関を透得せば乾坤独歩ならん」を典拠とします。即ち(仏法の)「大道(至高)に至るには一定した門がない=大道(至高)に至る路は無数にあり、四方・八面一切のものが修行になる。この路の関(関門≒難所≒修行)を透(透≒通過)得(できれば)、乾坤(天地≒人世)を一人でも(堂々と)歩める」という言葉に由来しています。

空道(くうどう)とは:
頭部に「ネオヘッドギア空(ねおへっどぎあ くう)」という特別に開発された補助具を着用し突き技、蹴りに加え、投げ、頭突き、肘打ち、金的蹴り、寝技、寸止めマウントパンチ、関節技、絞め技など様々な攻撃が認められる総合武道。

北斗旗(ほくとき)とは:

『北斗旗オープントーナメント』
大道塾が主催する大会名でオープントーナメント(他格闘技、他流派・団体も参加できる大会)で無差別とクラス別のある総合格闘競技会です。

北斗旗の由来と空道:
「北極星は天球の北極に最も近く、ほとんどその位置を変えない星である。
一方、北斗七星はこの北極星の位置を指し示し、また、この星により古代の人々は時を知ったと言われている。
投げ技までの「格闘空手」から、寝技を解放した「総合武道・空道」と名称は変わったにしろ、北極星を唯一厳然たる不動の「究極の価値」あるものと考え、北斗七星を「現在の時=現在の自分の力、を知り得る道標」と考えた場合、「広く、より以上の至高のものを求める」シンボルとしての相互の関係は全く変わらない。
従って、この大会には引き続き[北斗旗]と冠する。」
(総本部記事日付2011.5)

道場訓:

【備考】「有情」について a)うじょう b)ゆうじょう
「有情」は二通りの読み方があります。
道場訓の「有情を体し」はb) の「有情」で「ゆうじょうをたいし」と読み「(人々と交わることで)心を豊かにし」という意味です。

a) 「うじょう」
1.梵語(古代インドの文語であるサンスクリット語の称)で、Sattava =生存する者の意味、「情(心の働き・感情)を持つもの」の意味で、生きとし生けるものの総称
2.愛憎の心のある事<=>無情
b) 「ゆうじょう」
1.心あること、なさけあること
2.生物の感覚・感情を備えていること。

道場訓解説(少年部向け)

この解説文は「2006大道塾全国少年少女・学生選手権大会」の大会パンフレットに掲載されたものです。(総本部より引用)

少年部の皆さんが大道塾(空道)に入ったのは色々な目的があるでしょう。試合を見てカッコ良かったからとか、自分も強くなりたいとか、もしかすると、余り気が進まなかったけど、お父さんやお母さんにすすめられたとか・・・。“きっかけ”は何でも、大道塾に入った事は、皆さんの今後の成長にとって大変良いことだと思います。是非、道場訓に従って練習し、社会に役立つ立派な人になってください。

大道塾道場訓 作・解説:東孝塾長

我々は空道の修行を通じ 強固なる精神力と体力とを養い
(私達は「空道」の修行を通じて、強い心と体力を身に付け)
「空道」の練習をすると、突きとか蹴りを覚えて、皆より足が高く上がったり、体力が付いて相撲が強くなったりとうれしい事があります。しかし、時には苦しかったり、厳しかったりする事もあります。でもそういう時にがんばって、先生や指導員(先輩)の指導について行くと、嫌な事や、つらい事があっても負けない、強い体や心が出来るのです。

 

文に親しみ智力を錬り
(よく本を読んで、自分で考える力を養います。)
心や体が強い人は、人の手本になる事が多くなります。その為、何かをするときには、間違わない判断をして、正しい行動をしなければなりません。それには普段から、何事も自分で考える習慣がなければなりません。テレビやゲームも楽しいのですが、これらは、色んな事が次々と出てくるので、その事が正しいか間違っているかを、直ぐに判断することは難しく、何となくテレビやゲームに出てくる事は「これで良いのかなー」というように、そのまま認めてしまいます。でも、テレビがいつでもそのまま正しいという事はありません。言われている事や、うつっている事を自分で考えて判断しないと間違ってしまう時もあります。その点、雑誌や本は読んだり、見たりしても、分からなかったり納得できなかった時は、前に戻って読み直したり、見直すことが出来るので、自分で考える習慣がつき、しっかりした自分の考えを持てます。

 

人と結びて有情を体し
(他の人達と交流して心を豊かにし)
自分で体を動かして身に付けた心や体をもって、他の人と話をしたり遊んだりすると、色んな考え方や色んな人がいる事が分かり、自分の考えをより深くしたり、自分とは違う人間に対する、理解や思いやりが生まれ、口先だけではない本当の友達が出来ます。

 

もって人格の陶冶をなし 社会に寄与貢献する事を希うものなり
(これ等を身に付けて人間的に向上し、世の中の為に役に立つような人間になりたい。)
日本の子供たちが「国や人の為に役に立つ人になりたい」と思う順位は、世界で下から5番目だそうです。世界でも有数の豊かな国に生まれ、貧困の悲しさや惨めさを知らないで(親も“教育”をしなかった責任があります)自分一人で好きに生きられると思っているからでしょう。しかし、日本がこんなに豊かになったのも、たったの一世代(3~40年)位前からでしかないのです。「空道」の指導で世界の国々を回ると「日本という国はなんて素晴らしいんだ!」と本当に実感します。しかし、もし日本人が皆「自分だけが良ければ」というようになれば、貧しかった日本(今でも世界の6~70%の国々はそうです)に戻るのは簡単なのです。どうか今日の豊かさを得たのは、今の60歳代以上の多くの人達(先輩方)の「日本を良くしたい!」という強い願望と、血の滲むような大変な努力があったからだという事を忘れないで、立派な大人になってください。

(参考)英訳版 Principle of Daidojuku
Through the pursuit of Kudo,
we develop great physical and mental strength,
educate ourselves and gain intelligence,
and bond with people and enrich our emotions.
Therefore, we shall be able to cultivate our personalities
and become positively contributing members of society.